今が苦しくて、自分の言葉が出ないなら。リストを作ろう
文章が書けない日は、一番外側の願いから始める
夕方、1日の終わり。正直ぐったり。
子どもに呼ばれ、夕食のことを考えながら、届いた連絡には「大丈夫です」と返す。
怒涛の夕食作り、声かけしながら食べさせて、
片付けしながら、ケンカの仲裁。
お風呂に入って、寝かしつけ、ようやく静かになったと思ったら、
洗濯機の終了音が鳴っている。
奇跡的に寝落ちから復活して、貴重なひとり時間を得たとして、ノートを開いても、何を書けばいいのか分からない。
「本当はどうしたい?」
そう自分に尋ねても、何も出てこない。
出てくるのは、
あの時、もっと違うこと言えたのに。
私が、頑張らないと。
こんなことで疲れるなんて。
目を覆いたくなるような自分を責める言葉ばかり。
SNSのスクロールに逃げたくなる。
検索する指が止まらない・・・。
そんな日は、気持ちを文章にしなくて大丈夫です。
自分の内側が見えないときは、一番外側にある小さな願望を、リストにしてみてください。
たとえば、
行ってみたい場所
食べてみたいもの
見てみたい景色
文章でなくても、単語を一つ残せれば十分です。
よく勘違いされるのですが、
実は、ノートに感情を書き出しただけでは
自分も人生も変わりません。
今日お伝えしたいのは、3分で自分を変えるための
ジャーナリングではありません。
今日の自分を、今日の暮らしの中に置き去りにしないため、
小さな印をつけておくというお話です。
洗濯機の前で、Googleマップを開いた日
産後、洗濯機の前で泣きそうになりながら、
スマートフォンでGoogleマップを開いたことがあります。
当時、私が家の中で1人になれる場所は、
トイレか洗濯機の前でした。
言葉にするほど、辛かったわけではありません。
だから、具体的な解決策を求めて
何かを調べようとしたわけではありません。
ただ、無意識に、指が勝手に動きました。
画面には、いくつもの旗が立っていました。
知らない土地で、細切れの時間に「いつか行きたい」と保存してきた場所です。
その旗を眺めているうちに、ふと思いました。
私にもまだ、行きたい場所がある。
まだ、やってみたいという感情が残っていたんだなって。
当時の私は、毎晩のように自分へ「ダメな母親」と言い聞かせていました。
結婚を機に仕事を離れ、知らない土地へ移り住みました。
そこには、古くからの「嫁とはこう振る舞うもの」という
筋書きが用意されていました。
頼るつもりだった夫も、また別の役割を背負っていました。
そこへコロナ禍と二人目の妊娠。
外との接点は閉ざされ、県を移動するため、実家へは帰れず。
妊婦のキツさと2歳児育児が重なり、
言葉にできない苦しさが、
一番守りたい存在へ向かった日もあります。
今も、そのことを悔いています。
私はもともと、書くことが好きでした。
けれど、その頃は大好きだったノートを開けませんでした。
何を書いても、最後には自分を責める言葉になってしまったからです。
そんな私でも、リストなら作れました。
きっかけは、学生の時から持っていた、ドミニック・ローホーの『シンプルリスト』という本を読み返したことでした。
最初に書いたのは、
「行ってみたい場所」
のリストです。
台所で。
洗濯機の前で。
車の中で。
思いついたときに、一つずつ残しました。
私を連れ戻してくれたのは、立派な励ましの言葉ではありませんでした。
行きたい場所の名前を並べた、ひとつのリストでした。
書けない日は、言葉を小さくする
「書けば気持ちが整理される」と言われることがあります。
けれど、本当に苦しいときは、文章を書くこと自体が負担になります。
自分の感情を探し、順番を考え、言葉をつなぐ。
そのための力が、残っていないことがあるからです。
そんな日に、まとまった文章を書く必要はありません。
文章が無理なら、一行。
一行が無理なら、単語。
単語も出てこなければ、地図に旗を一本立てる。
書く量を減らすのではなく、言葉の形を小さくするのです。
たとえば、
海。
温泉。
森の中の喫茶店。
一人で飲む熱い紅茶。
理由は書かなくて構いません。
本当に行けるのか、いつ行くのか、誰と行くのかも、まだ考えなくて大丈夫です。
「行ってみたい」
その感覚が残っていることだけを、記録します。
心の内側が怖い日は、外側から始める
ジャーナリングというと、心の奥にある本音を掘り下げるものだと思われがちです。
けれど、内側を見ることが、逆に脅威になることもあるということは
あまり知られていません。
当時、私にとって、自分の内側は、安全な場所ではありませんでした。
言葉にしたら相手も自分も傷つけてしまう
嵐のような感情を、私自身が持て余していました。
だから、遠くにある景色から始めました。
最初は、行ってみたい場所。
次は、子どもと一緒にしてみたいこと。
ずっと後になってから、自分が本当はどう過ごしたいのか、
パートナーに対してどんな関係でいたいのかも書けるようになりました。
書くことは、いつも深く潜らなければいけないわけではありません。
心の外側を眺めながら、自分の感覚が戻ってくるのを待つ書き方もあります。
順番を意識することで、内側に入れるときは、また巡ってくるのです。
今日の3分ジャーナリング
今日の問いは、これです。
「いま、行ってみたい場所はどこですか。」
ノートに書けるなら、場所の名前を一つ書いてください。
ノートを開けない日は、Googleマップに旗を一本立ててください。
それで終わりです。
理由も、予定も、実現する方法も考えません。
旗は、行動計画ではありません。
「私はまだ、何かを見たいと思っている」
その感覚が消えていないことを残す印です。
書かない方がよい日もある
書こうとしたことで自分を責める言葉が止まらなくなったり、
過去の出来事が鮮明によみがえって苦しさが強くなったりする場合は、
そこでノートを閉じてください。
ジャーナリングは、どんな状態でも続ければよいものではありません。
今は向き合わない選択をするのも、大切なのことです。
もし、フラッシュバックなどの体の反応が現れた場合は、
水を飲む。
窓を開ける。
足の裏を床につける。
目に入るものを静かに数える。
などして、まずは、今いる場所へ意識を戻してください。
つらさが続くときや、自分や誰かを傷つけてしまいそうなときは、ノートの中だけで解決しようとせず、信頼できる人や専門家に話すことも必要です。
書くことは、人に助けを求める代わりにはなりません。
自分を変えるのではなく、見失わないために
あの頃の私は、Googleマップの旗に少しずつ連れ戻されました。
すぐに前向きになれたわけではありません。
旗を立てた場所へ、すぐに行けたわけでもありません。
それでも、
私はこれを見たい。
ここへ行ってみたい。
そう思う自分がまだいることを、忘れずに済みました。
自分を変えるためではなく、
今日の自分を、今日のうちに見失わないために。
今日は3分だけ時間をとって、まずは旗を一本だけ立ててみてくださいね。




あずささん、こんにちは。
私は週に一度だけ、「アーティストデート」という時間を持っています。
昔読んだ本で知った、自分のクリエイティブのための時間です。
その日は、なるべくその予定を優先して15分でも30分でも一人になります。
最近は車の中で音楽を聴きながら落書きをしたり、本屋さんで立ち読みしたり。
誰も知らない、自分だけの時間です。
記事を読んで、その時間は「何かを生み出すため」ではなく、自分を見失わないための時間でもあったんだなと気づきました。
あずささん、はじめまして、
ホントに苦しいときは書くこともいやになりますね、Googlemapに行きたいところの📌をさす…
これはまだやってなかったので、
やってみたいです、ワクワクする自分の方法がたくさん見つかるといいですよね